川を歩く 赤沢川の巻

なんじゃ、この写真は!

単なる「川」にみえますが、ここは赤沢川が宮川に合流する地点。

写真の上の方が「宮川」で、下の方が「赤沢川」です。

ちょっと離れてみるとこんな感じです。

今日は2023年4月1日。

暮らしが大きく変わる人もいることでしょう。

わが家では上の娘が就職、下の娘は高校生活をはじめます。

私はなにもかわりませんが、春でもありますし、ひとつ「新しいこと」をはじめてみようかと、ちょっとした旅にでてみました。

以前から、「河口から源流まで歩く」ということをしてみたいと思っておりました。

住まいにほど近い「赤沢川」からはじめてみることに。

そのスタート地点が、この写真の「赤沢川出合」です。

国土地理院の地形図を調べると、赤沢川が終わる地点は、福島県会津美里町のJR只見線根岸駅近くであることがわかります。

地図の左上の川が集まっているところです。

ここからスタートし、のんびりと散歩しながらウキウキと歩き始めます。

すぐに大きめの堰がありました。

農業用水の取水口としてまわりの田んぼに水を供給しているようです。

護岸の道は、去年整備されたばかりなので、きれいで歩きやすい道。

スたートして10分もたたないうちに相次いで県道を渡ります。

このあたりは、

「赤沢川ってこんなに広かったんだ」

という感じです。

釣り人を発見しました。

歩いていると、時折、魚が川面を跳ねます。

「なにがいるのかなぁ?」

興味を覚えましたが、夫婦(恋人どうし?)で仲睦まじく釣りを楽しんでいるようなので、ここはスルーして歩くことにしました。

県道を渡ってから10分くらいで舗装された道は終わり、のどかな田舎道になります。

ガタンゴトンと音がして、列車がやってきました。

すぐ近くにJR只見線が走ります。

私の影ばかりが目立っていますが、寺崎地区に入るあたりから河岸段丘がはじまります。

ここは長い年月が経っても、川に浸食されずに残った場所だろうと思います。

宮川との出合いからここまでは、数十年から数百年に一度は洪水が起きているだろうと感じられるところ。

私の住む寺崎は、水の害に遭わない素晴らしい土地なのです。

前方に青い色をした鉄橋が見えてきました。

これはJR只見線の鉄橋です。

少し手前に踏切があるので、よいこの皆さんは踏切を迂回して線路を越しましょう。

線路を越すと、桜がお出迎えしてくれました。

寺崎に達すると、堰があちらこちらに。

この堰を魚が越えられるのかわかりませんが、釣り人は寺崎より下流で楽しむのがよいのでしょうか。

このあたりは「蛍」の名所。

6月下旬から7月上旬頃、多くの蛍が見られます。

ここは住まいのすぐ近くなので、今日のお散歩はここで終わりに。

宮川出合いから約45分の道のりでした。

上流へとさかのぼると会津美里町松沢地区の奥で地図上から水色の線が消えます。

何回かに分けて源流までさかのぼってみようかと思います。

赤沢川の次は宮川、阿賀川など、だんだんと大きな川をさかのぼってみたくなってきました。

あまり期待せず、お楽しみに。

最悪の予感 パンデミックとの戦い

「最悪の予感」(マイケル・ルイス著)をご紹介しよう。

マイケルルイスと言えば、「マネーボール」や「世紀の空売り」などの著作が有名な作家さん。

経済の実態を鋭く観察し、日本でいえば城山三郎のような作風の著作が多い。

2019年暮れにはじまった新型コロナウィルス(COVID-19)のパンデミックには、さまざまな専門家や政府機関がかかわるが、この物語は、その中心となるCDC(疾病対策センター)が機能しないことが描かれる。

2020年、残念ながらアメリカは、第2次世界大戦の時よりも急激な平均寿命の低下が起きた。

明らかなコロナ敗戦だ。

どうして政府や、政府機関がうまく機能しないのか?

日本でも、菅政権が自ら崩壊したように、適切に機能したとは言い難い。

いまテレビでは、小松左京原作の「日本沈没」が放送されている。

共通なことは、「危機対応」。

この著作でもドラマでも、危機の本質を把握している人は、立場を維持する人々により中枢から省かれていく。

新型コロナウィルス対応のトランプ政権でも、同じことが起きた。

日本で「8割おじさん」と呼ばれた西浦博教授も、そんな境遇に陥った。

どんな危機においても「カネを稼ぐこと」に突き進む経済界は、コロナ対策に必要なマスクや消毒液などの分野でも、金儲けに走る。

これは、アメリカでも日本でも共通のことだ。

このノンフィクションの主人公である行政官は、「危機対応そのものをビジネスとして起業し、ひとびとの命を守るビジネス」へと舵を切っていく。

「日本沈没」のドラマはこれからどうなるかが楽しみだが、驚くほどストーリーがこの本に似ていると感じるのは私だけだろうか。

さて、21世紀に入り、災害やテロ、パンデミックなど、危機が多発する時代になった。

本質的な危機対応ができる民間企業を育てる必要性を感じさせるこの著作は、地球温暖化の世界を生きるわれわれが、どのような心得で暮らしていけばよいかを考えさせてくれる1冊だ。

岸田首相が考える「新しい資本主義」がこういうことなのかどうかは、いまのところ首相以外の誰も知ることができない。

それぞれにとっての「新しい資本主義」を、そろそろ考えなくてはならない時代が来たようだ。

十津川警部 会津 友の墓標

店主、西村京太郎のミステリーを、ついつい読んでしまいました。

「十津川警部 会津 友の墓標」(西村京太郎著 2008年 双葉社)

西村京太郎と言えば、鉄道ミステリーを思い浮かべる方が多いのでないだろうか。

しかしこの作品は、鉄道の描写はほとんどなく、登場人物による「小説」や「手記」により真相が明かされていく異色の描写をしています。

しかも、冒頭で起こる殺人事件の種明かしもない。

推理小説のなかの「小説」や「手記」を、読者が登場人物の考えを探りながら読み進めていきます。

表題に「会津」とあるように、会津の情景描写や歴史描写がふんだんに現れ、読者の頭に会津の風景が浮かびます。

おもしろい描写を少し引用します。

☆ ☆ ☆

「会津の人間って、あんなに頑固なのかね?」

「ならぬものはならぬというのが、会津のむかしの藩校の教えですから」

「ならぬものはならぬか」

「最後は理屈じゃなくなるんです。それで会津は、いつも損してますから」

☆ ☆ ☆

確かに。

会津人気質をよく観察し、描いておられるとついうなづく。

さらに、

☆ ☆ ☆

「会津藩の強さの秘密は、やはり『ならぬものはならぬ』という言葉に代表される精神じゃないでしょうかね?

相手のずるさや横暴さと向かい合った時、会津の人間は『ならぬものはならぬ』という精神で、相手と戦うことを選ぶんですよ。

幕末の会津戦争もそうでした」

☆ ☆ ☆

とも描いている。

この2つの引用文は、序盤で会津人気質を読者に伝え、間違った理解をして会津を語る人に対し、「ならぬものはならぬ」という伏線をしっかりと敷いている。

登場人物により書かれた推理小説内の「小説」は、会津人の登場人物には到底受け入れられない内容が刻まれ、会津人は『ならぬものはならぬ』と、「手記」による抵抗を試みる。

しかし、自分自身が「ならぬこと」をしたら、最後は理屈ではなく自壊してしまう危うさも併せ持つ。

このあたりを巧みな文章で、読者をひきつけ表現している。

トリックがほとんど見られないこのような推理小説は、なかなか他にない存在だ。

冬から春にかけての会津の季節描写も秀逸です。

これからの季節、ぜひ読んでみてはいかがでしょうか。

人新世の「資本論」

「SDGsは大衆のアヘンである」

という衝撃の言葉から始まる本書。

「温暖化による地球の崩壊」を主なテーマにかかげ、誰もがおぼろげ思っている「資本主義の崩壊」を、理論的に示した内容だ。

2020年9月の出版後、1年経ったいまでも、新刊として書店の店頭に並ぶ。

古本市場でも、値段が下がらない良書だ。

図書館では、半年くらい待たされるくらいの予約待ちになっている。


著者の斎藤幸平は、4つの世界の選択肢を示し、④のXを目指すための説明をしていく。

この④は、いったいどんな状態なのか?

衆議院選挙を目前に控え、政治にはどういう体制を、個人ではどんな未来の生き方を模索するかを考える補助線として、とても考えさせられる。

「損得勘定」や「臭いものにはフタ」という、欺瞞にあふれた世の中において、幸せに生きる本質を定め、それに向かって進む指南書ともいえるだろう。

アレルギーのような抵抗を示す読者もいるだろうが、このような言論が出てくることは、やはり世の中がおかしくなっていることへの警告だと受け止めた方がよい。

秋の夜長にじっくりと読めればよいが、実際には「早く次のページをめくりたい」という衝動に駆られ、一気に読んでしまうくらい魅力にあふれた内容が続く素晴らしい本だ。

「小磐梯」

「洪水」(井上靖著)には、5篇の短篇が含まれている。

雑誌「新潮」昭和36年1月号で発表された短篇が「小磐梯」だ。

磐梯山が大噴火した1888年(明治21年)7月15日の2日前から、主人公が測量の旅に裏磐梯へ赴く様子を小説として書いた。

会津磐梯山噴火前夜の様子を描写し、130年前にどんなことが起こったのかを、我々に想起させてくれる。

googleマップより(一部編集)

主人公は、地図の左側「喜多方」から山を越え「桧原」に入った。

地図右上に「檜原」と書かれているが、当時の桧原は、現在の桧原湖の下に眠っていて、詳しい場所はわからない。

桧原で一泊したのち、「細野」を経て「大澤」へと歩く。

大澤も、桧原湖湖底に沈む場所で、現在の「雄子沢」に近い場所のようだ。

主人公は7月15日朝、大澤の近くで、それまで景色に見えていた「小磐梯」が”ブン抜ける”姿を目にする。

山が吹っ飛び、山の高さの2倍以上の高さに噴煙が上がり大泥流が流れ、必死に高台に走り難を逃れた。

間近にいた人々の消息はなく、恐ろしくて噴火後に出来上がった美しい湖を訪れることは一生ないだろうと、最後の文章を閉じている。

途中の情景描写や、山奥で暮らしている人々の描写は、読者の瞼に絵が浮かぶような素晴らしい文章で、読者を魅了する。

井上靖は、中国の奥地までも自分の足で取材し、文章を書いた小説家として知られる。

作品の発表された昭和30年代の裏磐梯の人々は、明治21年の頃どんなだったか?をよく考えたのだろうけれど、私には、まるで明治の暮らしを見ているように感じられ、自然に心に響いてきた。

前回の書評「乳と蜜の流るゝ郷」では、私の本籍地「北塩原村桧原」のおとなり「大塩」の様子を描く小説を紹介した。

本質的な郷里ではないのだけれど、ゆかりの土地の昔を書いた小説があることは何ともうれしいものだ。

「乳と蜜の流るゝ郷」「無理ゲー社会」

福島県に北塩原村という村がある。

「北山」「大塩」「桧原」という3つの地域からなり、それぞれから一文字づつ取ってできた村の名前だ。

私の本籍地は「北塩原村桧原」。

平成8年に妻と結婚し所帯を持ったとき、住んでいた土地を本籍地とした。

「乳と蜜の流るゝ郷」(賀川豊彦著)は、昭和9年から10年にかけ連載された小説で、私の本籍地のおとなり「大塩」を舞台に描かれたものだ。

「乳と蜜の流れる郷」という表現は、旧約聖書に何度も出てくるもので、エジプトに囚われていたユダヤ人に神が約束したカナン(今のイスラエル)の地を指している。

「乳」はヤギの乳を指し、「蜜」はハチミツのことである。

ヤギとハチを大事に育てれば、どんな飢饉や災いがあっても、永続的に生きられるというキリスト教の教えだ。

小説は、資本家による搾取と飢饉により疲弊する地方の山村の様子を描き、そこからの脱却を目指すストーリーだ。

作者の賀川豊彦は、クリスチャンの社会運動家。

昭和初期から、農村伝道に会津に入った。

実際に自分で目にした農村が抱える困難に対し、社会的正義を実現しようとした若者が誕生することを願い書かれたことは、想像に難くない。

話は、「産業組合」や「農事実行組合」など、助け合いを基本とした社会主義的思想が根底に流れている。

自由主義経済の令和になっても、この頃につくられた「農業協同組合」や「共済組合」、「生活協同組合」などの組織が現存しているから、自由主義経済と社会主義経済が併存しているといえるであろう。

東北地方では、「地割」という地名、あるいは、番地を時々目にする。

「地割」とは、災害に遭ったとき、失った土地のうち復旧できた土地を、それまで耕作していた者で全体の土地を均等割りし、耕作の再開をしたときに用いられた言葉だ。

資本主義的な思想であれば、災害前の土地所有の割合に応じて再配分するのだろうが、昭和初期は社会主義的思想で、土地を分割したようだ。

およそ90年前のこの小説は、およそ150年前に刊行されたマルクスの「資本論」により社会が作られてきた弊害を打破することが念頭にあったことも、また然りであろう。

小説には、悪徳な代議士や資本家が出てくる。

1976年には福島県知事「木村守江」が収賄により公選知事としてはじめての逮捕、有罪。

今年は、会津美里町長の逮捕、有罪があった。

明治時代から令和の時代まで、ずっとこの構造は変わらない。

「カネ=権力」の構造を打破することは、いつまでも実現しない。

山村が疲弊する構造を考えるとき、90年前の小説であっても、どんな心持ちが必要なのかを教えてくれる素晴らしい小説であった。


「無理ゲー社会」(橘玲著)は、現状を分析しながら未来を考察するノンフィクション。

「知能格差」「経済格差」「性愛格差」を論じたうえで、グレン・ワイルとエリック・ボズナーの共著「ラディカル・マーケット」で提唱されている「市場原理を徹底することで私的所有権を否定し、共同体(コミューン)を再生する」という思想のシュミレーションを行っている。

ワイルが提案する「共同所有自己申告税(COST: common ownership self-assessed tax)」を引用し、「すべてのコレクションに毎年税を課したらどうなるか?」を考える。

世の中は、シェア経済に移行しているから、「所有」から「レンタル」への動きは、この税で、より加速することになるだろう。

そして、「資本論」でいう「蓄積された資本」という富から、社会全体へと富の移行が進み、多くの再分配のための原資が生まれる。

実質的に、自由主義経済を崩さずにベーシックインカムに似た制度となる。

「他人の繁栄から恩恵を受ける世界では、社会的信頼が育まれ、共同体(コミューン)への愛着が生まれ、市民的関与が促される」

と導く。

「自由主義経済」の行きつく先は「共産主義」であるという、予想外の結末となる。

いやいや、結末ではなく、まだまだ通過点であるかもしれないが。。。

この本では、リベラリズム(自由主義)も多くのページを割き論じている。

リベラル化の本質は「自分らしく生きたい」ということ。

既得権を持つ政治家や資本家が大きな抵抗をしているものの、社会的マイノリティに対する「生きずらさ」を打開する方向に社会は動いているから、リベラリズムはここ数年で大きな進歩をしている。

ただ、デモクラシー(民主政)はアフガニスタンにみるように、否定が現実にはじまった。

AIという最新テクノロジーが、COSTの最適化などを進め、政治の関与が薄まれば、「カネ=権力」からどうしても悪徳代議士を生む民主政(民主主義)を、ひとびとが捨て去る時代が来るかもしれない。

税がかからない「人格」という資産が尊重され、カネの力が落ちる時代が本当に来るだろうか?

「自由主義」であり「共産主義」である。

なんとも不思議な時代が来ることが予見されるが、両者が共存して闘争をしなくなれば、「ケンカっぱやい」ひとびとを除き、「ユートピア」が来ることになるのかもしれない。

この2冊の本を読み、いまのところ、「おだやか」に「共同体を意識して」生きていくことが、「最も賢い生き方」なんだろう。

あからさまな権力闘争が現実に行われていても、こういう気持ちを持てれば、「あの人たち、みんないらなくなるのね」とも思える。

でも、「あの人たちも共同体の一員」と考えなくてもならないから、「どうやって付き合おうか」と悩みは尽きない。

やっぱり、ひとびとの営みは、どこまで行っても「通過点」なんだろうと思う。

サーキュラー・エコノミー

「サーキュラー・エコノミー」(中石和良著・ポプラ社新書)


「SDGs って具体的にどうするの?」

こういう疑問を持つ方、とても多いと思う。

この本では、最初に「サーキュラー(循環)」とは何かを「リニアー(直線)」との違いを用いて説明します。

いままで私たちが接してきたのは「リニアー」な経済。

メーカーや生産者が作ったものを売り渡したら終わり。

これがリニアーな経済です。

それに対し、「サーキュラー」とはなにかを、掃除機を例に出して説明しています。

「リニアー」では、消費者が掃除機を手に入れたら、掃除をするための道具として使う。

もし、どこかが壊れたら、修理に出すか新しい掃除機を購入することになる。

「サーキュラー」な経済では、掃除機を生産するメーカーが、掃除をする道具を貸し出す。

なんだ、単なる「サブスク」か?

私も、最初読んだときはそう思ったけれど、読み進むと、メーカーの所有物であるが故に、

「壊れないような設計」

「壊れても直しやすい設計」

「廃棄物が極力出ないような設計」

に向かい、もし使用されずに返却されても、必要以上の生産をしなくなる。

こういう考えが、新たな資源の利用を抑え、廃棄物の削減も行うと説明が続く。


掃除機の例の他にも、さまざまな業界における「サーキュラー」なビジネスモデルの例が示されている。

「なるほど!」と思ったのは、「紙」と「デジタル」の関係。

ペーパーレスが叫ばれて久しいが、世の中にはまだ「紙」があふれている。

古本屋としては、「紙の本」がすべて「電子書籍」になってしまったら困るのだが、実際にはそのようなことは起きない。

「紙」という資源のうち、「チラシ」や「パンフレット」などは、印刷はするものの、有効に配布され読まれる「紙」は驚くほど少ない。

ほとんどが無駄に消費されるが、世の中にはまだ紙があふれている。

「紙の本」は無料ではないので、読むという意思がある人々が買い求める。

だから、有効に消費される部類の「紙」なのである。

SDGsの対応として必要なのは、無駄になっている「紙」をいかに有効な「紙」とするかということ。

ネットショッピングでは、画面に出る説明を見ながら、ポチッとしてカートに商品を入れる。

しかし、レジを通さずにそのままにしてしまう顧客は多い。

こういう顧客は興味を持ったことは確かなのだから、その商品が買いたくなる「紙」を送ると、購買行動が促進されるという。

つまり、「デジタル」で意思を確かめてから、「紙」の一覧性や視覚性を有効に活用することが、SDGsに有効だと言うのだ。


本は、紙にしろ電子書籍にしろ、なんらかのテーマに従い、深く掘り下げて書かれたものがひと単位となることが多い。

一方、インターネット上に存在する無数のデータは、検索エンジンにより関係しそうなものが一覧で表示され、そのなかから関係ありそうなものを自分で見つけ出す。

だから、ネットで得る知識と、本で得る知識は、基本的にその構造が異なる。

電子書籍の内容(本文)は、ネットで検索できないもの。だから、検索にはのらない。

「紙の本」は、物理的な資源である「紙」を消費し運送するために燃料を必要とする。だが、読者に届けられて以降はエネルギー消費が無い。

不要になっても、古本屋へ売り渡したり、古紙回収に出して資源を再利用することができる。

「電子書籍」は、そういう資源を使わないが、読むときにはリーダーで電力を消費するし、その本の所有権を管理するサーバーは、いつまでも電力を使い続ける。

また、資源の再利用という事はできない。


SDGsを考えるとき、デジタル化こそが地球によいとは一概に言えない。

この本は、ビジネスに関する本だが、各自の暮らしの方向性を考えるのにもとても役立つ。

「SDGsって、何すればよいの?」というあなた、

おうち時間に、のんびりと読んでみるのにオススメです。

いのちの車窓から

「いのちの車窓から」(星野源著)

新垣結衣さんとの結婚が発表された星野源さん。

歌手のほか、俳優、文筆業としてマルチに活躍する方。

古本屋としては、「どんな文章を書く方なのか」がとても気になる。

倉庫から引っ張り出して読んでみると、俗にいうタレント本という感じではなく、しっかりとしたエッセーが綴られている。

この本は、雑誌「ダ・ヴィンチ」に連載されたものに、何篇かの書き下ろしがおさめられている。

なんと言っても、注目は「新垣結衣というひと」という篇だろうが、私は「文章」という書き下ろしの篇に、文章に対する考え方が良くあらわれていると伝わってきた。

彼は、音楽のプロ、役者のプロであることはもちろんだが、文章のプロも志している。

彼にとってのプロとは、「エゴやナルシズムなく伝えられること」が、できる人だと言う。

そんな姿勢が、フツウの人として生きる生き方となっているのだろう。

読み進めると、「欲」をなくすとうまく行くと感じさせてくれる本だ。

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琉球独立論

今日のオススメ

琉球が薩摩藩による統治を受けた頃からの歴史、沖縄の人々が真の意味でのアメリカと日本から独立する思想が書かれています。

著者は、現在の自治を「官治」と呼び、琉球の人々が考える「自治」と区別します。

国家と地方の関係、あるいは、中央と周縁の関係を考える興味深い書籍です。

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はじめまして

ホームページのリニューアルを開始しました。

これからはブログのように、古本屋「古書会津野」・無線ショップ「HAM会津野」のご案内をお伝えいたします。

どうぞよろしくお願いいたします。